ライフデザイン

定年退職後(老後)の時間を生き甲斐に変えるライフデザインワーク

定年退職後(老後)は自由に使える時間は増えます。
しかし、時間があることと、その時間を充分に味わえることは同じではありません。

大きな失敗や不幸がなくても、あとになってふと、

「もっと人生を味わえたのではないか……」

と感じることになるかもしれません。

生き甲斐は、何も特別な使命や大きな目標だけに感じるものではありません。

🔔 自分の時間に意味を感じること。
🔔 誰かとのつながりを感じること。
🔔 自分らしく過ごしている感覚があること。

つまり、生き甲斐とは、人生を充分に味わっている感覚です。

定年後(老後)の不安を収穫と資産に!

定年後(老後)の4大不安は①健康、②つながり(家族・知人)、③お金、④生き甲斐だと言われています。

しかし、ものは見方です。

老後の4大「不安」は
👉 老後の4大「収穫」にもなり、
👉 老後の4大「資産」にもなりえます。

今が、不安を収穫と資産に変えてしまうチャンスです!

そこでその入口として用意したのが、
「人生を充分に味わうための9つの問い」です。

生き甲斐があるかないかを判定するものではありません。

まずは、定年後の自分になったつもりで、定年後のの生き甲斐を静かに確認してみてください。

隠れている部分があるので、縦にスクロールしながらチェックしてください。

 

【人生を充分に味わうための9つの問い】

 

定年後(老後)を迎えたつもりでのチェックのご感想はいかがでしょうか?

生き甲斐は、誰かから与えられる答えではありません。

✅ 自分は何に喜びを感じるのか
✅ 誰と、どんな時間を過ごしたいのか
✅ これから何を大切にしたいのか

こうした問いに自らが向き合う中で、少しずつ見えてくるものです。

🔸 問いがなければ、選択は生まれません。
🔸 選択がなければ、行動も生まれません。
🔸 行動がなければ、人生は成り行きまかせになります。

それでは、なぜ、人間が退屈を嫌うのか、物語が好きなのかについて、もう少し考えてみましょう。

 

なぜ、人間は退屈を嫌い、物語が好きなのか

定年をこれから迎える人、すでに迎えた人、いずれ定年を迎える人が老人ホームに入居するのはまだまだ先の話かもしれませんが、これから紹介する老人ホームにおける実験結果は今後の人生の選択のお役に立つと思いますよ。

ある老人ホームにおける実験

米国 コネチカット州の老人ホームで、1976年に心理学者のエレン・ランガーとジュディス・ローディングが行った研究が紹介されています。(出典:「選択の科学」シーナ・アイエンガー

彼等は老人ホームの入居者を2つのグループに分けてスタディしました。
入居者が自分で選択して行動する選択権有りのグループと選択権をなくしたグループを設定し、3つの課題を与えてその後の健康と人生の質の違いを調査しました。

選択権無し

入居者にはある程度の自由は許されているが、彼らの健康は有能な職員が責任を持って管理する。

選択権有り

皆さんの人生ですよ。どんな人生にするかは皆さん次第であることを強調した。

1.入居者一人ひとりに鉢植えを配る鉢植えの世話は看護師がする鉢植えの世話は入居者がする
2.映画を木曜と金曜日に上映するどちらの日に上映するかは、職員が連絡するどちらの日に見るかは、入居者が決める
3.他の階の入居者を訪ねて、おしゃべりをしたり、読書、ラジオ、テレビなどを楽しむこと楽しむことができると伝えただけ好きなように時間を過ごしてくださいと言った。

この実験を始めた3週間後の調査では、選択の自由度の大きな入居者はそうでない入居者に比べて満足度が高く、生き生きとしていて、他の入居者との交流も盛んでした。それに対して、選択権なしの集団では入居者の70%以上に身体的な健康状態の悪化が見られたのです。

そして、6ヶ月後の調査では、大きな選択権を与えられた入居者の方が低い集団に比べて死亡率が低かったことが判明しました。

🎯 このケースから、人間が自分で行動を選択することが人生の質(QOL)に大きな影響を及ぼしていることがわかったのです。

受刑者の選択の自由を奪う刑務所

刑務所は罰として犯罪者から自己決定権、選択の自由を奪うために存在します。人間にとって最も辛いのは、自分でしたいことを自分で決めて自分ですることができない状態なのです。

定年後の生活を自ら作った刑務所の中にいるようなものにしたくはないですよね……
選択はあなたの手の中にあるのですから。

将来をコントロールしたがる人間ー自己決定権

自分でしたいことを自分が決めるのが自己決定権であり、それが本人の人間としての尊厳であり生き甲斐となることは先ほどの老人ホームの実験からも明らかです。

自己決定権の問題は、老人ホームの入居者のみならず、生きている間のあらゆる局面で発生します。

レストランにおける食事のメニュー、デパートで購入する洋服、進学する学校、就職する会社、結婚する相手、購入する住宅、見たい映画、読みたい本、趣味などは全部自分で選択して決めたいと思いませんか?

人間は自分の人生に関することは自分が決めたいのです。

それらの様々な選択は 一時的な目的のためだけではありません。その後の二次的な目的、あるいは三次的な目的まで無意識に考慮して行います。本人にもわからない無意識の意図を他人がわかるはずもありません。

例えば、 若い男性がガールフレンドの誕生日のプレゼントを選ぼうとしているのは、プレゼントのためではなく、誕生日のデートを盛り上げるためであり、場合によってはセックスをしたいためであり、長く交際をしたい、あるいは結婚したいなどの二次的、三次的な目的も含んでいるのです。

将来をコントロールしようとしているのがわかりやすいのは、ゲームやスポーツです。ボーリングはレーンのどこにボールを落とせばストライクが取れるだろうか、バスケットボールはどのような放物線を描けばバスケットの中にボールが入るだろうか、ゴルフのパットは グリーンの傾斜と芝目を読んで、どのようにパターを振ればカップに入るだろうか?

と言うように人間は将来の結果を見越したうえで、今取るべき行動を選択しているのです。

将来をコントロールしようとする意図がなければ、狙って投げる、あるいは打つ必要がありません。ボーリングのピン、バスケット、カップに入るシーンを想像したうえで、行動を選択したからこそ、結果にこだわりがあり、結果に対する感情が涌くのです。

そう思いませんか?

選択することを忘れた人間

人間はみずから選択して将来をコントロールすることに喜びを感じると言いましたが、社会生活を送る過程でむしろ、逆に選択しない習慣が身についてしまうことがあります。

考えてみてください。
自分で選択して決定したつもりになっていたものの、実はそうではなかったことが何であったかを……

子どもの頃は、親の選択をそのまま受け入れていました。食べるもの、着るもの、お稽古事、保育園、小学校等の進学先等。自分に知識と判断能力がない幼い時は、自分で選択することができないのも無理はありませんね。

しかし、成長して自我が芽生えてくると、親の選択を押しつけられることに反発するようになります。反抗期とも言われますが、自分で選択することに興味が高まってきたのです。

一方、中学、高校、大学へと進むと、今度は学校の教師の選択を受け入れていなかったでしょうか?それは教師からの教育、指導という形で選択を強要されます。成績を上げるためにはその方が合理的だったのです。授業だけでなく部活もそうです。知らないことを教わるのですから、それもやむをえませんね。

そして、就職すると会社の方針、上司の選択・指示に従うことになります。サラリーマンは時間を売る職業です。就業時間中に何をするかは給料を支払う会社の選択と指示に従わなければなりません。上司も職種も勤務地も基本的には会社が選択し、それを受け入れないと給料がもらえない仕組みです。それは会社を退職するまで続きます。転職したとしても、その仕組みから逃れることはできません。転職する選択は自分ですることができますが、転職後は次の会社でも同じことが繰り返されます。

このように振り返ってみると、自分で選択していたつもりであったかもしれませんが、子どもの頃は親の選択を、学生時代は教師の選択を、就職してからは上司の選択の影響を大きく受けていたことがわかります。もちろん本人の選択が全くないわけではありませんが、お釈迦様の手の平の上の孫悟空と言ってよい状態であったのではないでしょうか。

人間が社会的な動物である以上、ある程度選択を他人と共有しなければならないのです。

ストレスと「指示待ち人間化」

自分の選択と親、教師、上司の選択がマッチしない場合に生じるのがストレスです。

自分がしたい選択をすることができない時にストレスが生じます。その結果、親への反抗、学校におけるイジメ、サラリーマンのうつ病の発病、あるいは離職などが問題となっています。

一方、ストレスを過度に回避しようとするために、人の選択・指示に従うことに慣れてしまうと、選択する喜びを忘れてしまい、いわゆる「指示待ち人間」になってしまいます。それは自己の個性、一貫性を失うことに繋がります。

何を勉強するか、どこで何の仕事をするか、どのようにするかを他人に決めてもらうことが習慣化してしまうのです。それを容易にするのがマニュアルです。新しい勤務先で「マニュアルはありますか?」と聞くのが普通になりました。マニュアル人間です。

しかし、自分で選択せず、指示待ち人間であったとしても、他人が選択してくれるので退屈することはありません。退屈することがなかったために、ほとんどの人はこのような状態にあっても、自分で選択していなかったことに気づかずに、あたかも自分で自分の人生を選択してきたと誤解してしまいます。

しかし、そうではなかったことに気づく時がやってきます。それは選択・指示をする他人がいなくなった時です。

定年 ー 自分で選択をせざるを得なくなるタイミング

いつの間にか自ら選択をしない人生に慣れてしまいますが、やがて大きなターニングポイントがやってきます。それは、自分の代わりに選択・指示をしてくれる人がいなくなる時です。

サラリーマンが直面するのは定年退職です。

定年退職して職場に通わなくなると、誰も自分の代わりに選択・指示をしてくれません。すべて自分で選択することができるようになるのですが、すべてを自分で選択し、決定せざるを得なくなります。

定年退職後に5月病に罹る人は少なくありません。
5月病と言うと、大学受験を終えた大学1年生や社会人1年生の話のようですが、65歳のサラリーマンOBにも5月病はあるのです。その原因のひとつは、他人にしてもらっていた選択がなくなったことです。慣れ親しんだ他人からの選択・指示がなく、自分も選択をしなければ、何もすることがない状態に陥りかねません。

その結果は退屈です。

主婦の場合は、子育てが終わった時です。
「空の巣症候群」とも言われますが、子どもから指示されていたわけではありませんが、子ども中心の生活を送っていたために、子どものための選択はしていたものの、自分のための選択をする習慣がなかったのです。そこで、子どもが巣立ってしまうと、気持ちにポッカリと穴が開いてしまいます。

それを恐れて子離れできない母親は少なくありません。子どもも親離れせずに社会人になっても親と同居を続けてしまうと、子どもはいわゆるパラサイトシングルです。母親は子どものためにも、子どもが巣立っても自分自身のために選択することを予め用意しておく必要があります。

定年で気づく自分の生き甲斐

「定年後(老後)の生き甲斐は何ですか?」

と退職の際の送別会でいきなり尋ねられたら、何と答えますか?
仕事と子育てがあった時はそれらが他人の選択であったものの生き甲斐だったのです。当時はそれらを他人の選択だとは感じていませんでしたが、必ずしも自分の選択ではなかったことに気づくのは、それらがなくなった時です。

仕事と子育てがある間は生き甲斐を自分で選択する必要はありませんでした。
しかし、それらがなくなった後は、自分で選択せざるを得なくなるのです。

必ずしも生き甲斐をもって生きなければならないということはありませんが、生きる甲斐のない人生とはどのようなものなのでしょうか?

生き甲斐は些細なコトであってもよいではありませんか。
なんでもよいのです。自分が選択したコトであれば!

人間は自分で選択して現状を変えて将来をコントロールすることに喜びを感じる存在ですから。

いつか、あなたも老人ホームに入居するかもしれません。
冒頭に紹介した米国の老人ホームの入居者のように、定年後も選択の自由を手にすることができれば、老人ホームに入居するはるか前から人生の質を高めて気分良く暮らすことができると思いませんか。

できれば、定年退職、子育てが終了する前に、
まずは今までの人生を振り返ってみた上で、
これからの人生の物語の次の章を自ら書いてみたらいかがでしょうか?

私たち人間には選択して将来をコントロールする力があります!

 

ライフデザインワーク

ライフデザインワークは、人生を物語りとして位置づけ、感情と理性の両方を使って、自分の人生の次の章を描いていきます。

【ライフデザインワークとは?――入口としての考え方を見る】
人生の設計のしかたについて学びたい方は、こちらでライフデザインワークの前提となる考え方整理していますので、ご覧ください。

 

 

【ライフデザインワークの詳細をみる】
人生は物語です。
あなたの人生の主役は、もちろんあなた。
そして、あなたの人生の作者も、あなたです。
ライフデザインワークは、
定年後(老後)の人生を、
自分らしく、生き甲斐をもって生きる物語として描くためのフレームです。