Happy Ending サービス

想い出すと幸せになる 想いを遺すサービス

レストランや観光地で、多くの人が真っ先に行うことは何でしょうか?

料理を直に見て、自分の目でその盛り付けを楽しむのではなく、写真を撮るのが先です!
観光地においても、素晴らしい景色をジックリと目で楽しんで脳裏に焼き付けるよりも、むしろ、カメラを構えることを優先します。

行動心理学者のダニエル・カーネマンは、記憶の残る休暇と残らない休暇の価値の違いについて次のように書いています。

「休暇の終わりに、撮影した写真やビデオを全て廃棄するとします。さらに、休暇の記憶を全て 消してしまうような薬を飲むとします。
事前にこれらのことがわかっている場合、あなたの休暇のプランに影響はありますか?
記憶に残る普通の休暇と比べた場合、記憶が消失される休暇にいくら支払いますか?」
ファスト・アンド・スローより

あなたはいかがでしょうか?

おそらく、旅行代金を半額にすると言われても、記憶の残らない旅行に行きたいと思う人は少ないでしょう。

想い出せる経験は、たいがいよい想い出である一方、忘れてしまった経験は、当然のことながら、実際の内容がどうであれ、想い出とはなり得ません。

判断と感情の源は記憶

経験と記憶との違いと、記憶に残る経験の性格が明らかになった結果、判断は経験に基づくものではなく、記憶によって行われることが明らかになった意味は重大です。
想い出すことのできない経験は判断の材料にはならないのです。

心理学的に「今」は約3秒間であるそうです。
一日に今は28,800回
一年間に今は、10,512,000回

今はたった3秒しかないのですから、あっという間に今は過去となってしまいます。そして、何かを考えるというのは、過去(3秒前以前)に起こったことを反芻することに違いありません。従って、記憶に残らないことを考えることはできないのです。

幸せか否かを感じるのは、常に過去の経験についてであり、しかも、記憶に残っている経験についてしか感じることができません。

ビスマルクのことば

「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」とビスマルクは言いましたが、
実は、「愚者は記憶から学び、賢者は歴史から学ぶ」だったのです。

ここでビスマルクが言う歴史とは、個々人に残された記憶ではなく、多くの人たちに外部記憶を通じて共有された記憶だったのです。

経験は記憶にしなければ残りませんし、記憶も外部記憶に残さなければほとんど失われてしまいます。

昨夜観た夢を翌朝に想い出せなかった経験はありませんか?
メモ帳を枕元に置いておいて書き残さなければ夢は残らないのです。

インディアンの長老

西部劇に出てくるインディアンの長老は物知りだとされていますが、本当でしょうか?

インディアンには文字がなかったために、最も長く生きている人間が多くの経験を積んでいるとして重んじられたのでしょう。

年寄りの記憶しか頼るものがない種族が、他人の記憶を外部記憶を通じて共有していた欧州人に勝てるはずもありませんでした。その結果、虐殺され、居留地に押し込められてしまいます。

 

想い出すと幸せになる、想い出さなければ幸せになれない

理性に基づく理性的な判断も、情緒的な感情も、過去の記憶に基づいて生じるとするならば、想い出すことが出来なければ、幸せになることも、不幸にもなることもできません。

・経験しても、記憶に残らなければ、想い出すことはできない。
・記憶に残っても、想い出すことができなければ、経験しなかったことに等しい。
従って、記憶に残して、想い出さなければ、幸せにはなれない。

想い出すことができれば、幸せになることができますが、想い出すことができなければ、幸せになることはおろか、不幸になることもできません。

認知症や脳梗塞になった人が判断ができなくなり、感情の変化も見られなくなるのも、想い出す能力を失ったからだと言えるでしょう。
過去を想い出せなければ、今との差違がわかりません。認識するとは変化を感じることだからです。

記憶の編集

さらに、その記憶も時の経過とともに、意識的、あるいは無意識に都合良く編集することができることに注意が必要です。

それは、幾度となく戦争や革命の勝者によって書き換えられる歴史がそれを如実に物語っています。また、解釈の変遷も大きな要素です。

人生万事塞翁が馬
人生万事塞翁が馬の故事はそれを如実に現しています。

中国の故事ですが、農家に足を折った息子が不具となり、戦争が起こった際に、村の他の若者とともに出征できないことを嘆いた母親の話です。
出征した近所の息子達は戦死して村に帰ってきませんでした。しかし、足が不自由になった息子はそれでも農作業をして一家の生計を助けたのです。

過去につらいことがあったとしても、それは時を経て馴化してしまうか、もしくは、解釈の変化によって最終的によい想い出を作るターニングポイントとして想い出されることは少なくありません。

このように、記憶は、時間の経過とともに、自然に解釈が変わるとともに、意図的に編集することも可能なのです。

映画は実際に放映されているフィルムの数百倍の撮影をしていると言われます。その膨大なフィルムの映りのよいシーンをつなぎ合わせて、一本のストーリーに編集していきます。その編集作業をおかしいと批判する人はいません。

そうであるとするならば、長い人生のストーリーを編集するのは悪いことでしょうか。そうとは言えません。所詮、記憶にないものは繫ぎようがありませんから。
物語はピークとエンディングを紡いでいくものであると、ダニエル・カーネマンも書いています。記憶の性質からすれば、人生も映画のようなものだと言えないでしょうか。

考えて見てください。
想い出は、よい想い出ばかりではないでしょうか?

その原因は上記のように、馴化とストーリーの編集に理由があったのです。
そうであるならば、人生を時々振り返えることにより、意識的に記憶を編集し、さらに、Happy Ending にするためのシーンを付け加えたほうがよい人生になるに違いありません!

失われる記憶

しかしながら、人間のメモリーの容量には限界があります。
その記憶を引き出すためには、その記憶をきちんと保管しておくことと、それを引き出すキーの2つの要素が必要です。

何かの拍子に想い出が引き出された経験は誰にもあるでしょう。

そこで、記憶の保管には、人間の内部メモリーに頼らない外部記憶の活用がポイントとなります。

よい経験であればあるほど、手間と時間を掛けて外部記憶に残すべきです。

写真のアルバムは古典的な記憶の外部記憶です。

しかしながら、重くかさばるアルバムはいつの間にか手元に引き出されることがなくなってしまい、その中に満たされている幸せな記憶は忘却の彼方となっている人が少なくないのはもったいない限りです。

写真アルバムは銀塩写真の世界ですが、写真がデジタル化してからは、大量の写真を安価に撮影も保存もできるようになり、動画を加えて様々な編集がパソコンでできるようになりました。

日記のような伝統的なものから、SNS、blog、録音などデジタル化されたものまで、簡単に記憶を自分以外の外部に残せるようになりましたので、好みの方法で外部記憶にチャレンジしてください。

人生の振り返り

人生の最期に、人生が走馬燈のごとく駆け巡ると言われることがありますが、はたしてそうなのでしょうか?

自分のメモリーだけで想い出すことができる人生はわずかなものでしょう。
一体自分は何をやっていたのだろう?というような最期にはしたくありません。
また、病気で鎮静剤を打たれている人や、認知症の人は走馬燈どころではなく、人生を振り返ることはできません。

認知症は記憶を失わせて、人間の一貫性を失わせる恐ろしい症状です。

このように考えると、人生をゆっくり振り返ることができるのは、実は今のうちなのです。

銀塩写真のアルバムを持っている人はまず、アルバムのデジタル化を試みましょう。

デジタル化することによって、小さな写真も引き伸ばすことができ、暗い写真も明るく編修することができます。しかも、数千枚の写真も1枚のUSBメモリーに保管できてしまいます。

さらに、デジタル化した写真は子や孫にコピーして共有することも容易です。

外部記憶は、家族や知人とも共有することができる

記憶を外部記憶に書き出すと、自分のものだけではなく、共有することができる記憶となります。子や孫、そして知人も本人の記憶が外部記憶として書き出されていれば、それらを共有することができます。失われない、代々引き継いでいく記憶となるのです。

想い出して幸せになるために意図的に遺す外部記憶のサービス

一般社団法人 日本Happy Ending 協会は、想い出すと幸せになることへの気づきを広めていくために、想い出すたび幸せになるサービスを提供しています。
写真のデジタル化、自分史制作、家系図の制作につきましては、
各分野の専門家であるHappy Ending プランナーがサービスをしますので、お問い合わせください。

<1>写真アルバムのデジタル化(Happy Ending カード H-1)

<2>自分史(Happy Ending カード H-2)

<3>家系図(Happy Ending カード H-3)

要約すると

・理性的な判断と情緒的な感情の源は、記憶に残った経験であり、経験したからと言っても記憶に残らない経験は経験しなかったことに等しい。

・認識するのは変化であるので、記憶がなければ現在の幸せを認識することができない。従って、記憶を振り返る度に幸せになるし、想い出せなければ幸せにはなれない。

・記憶は、時の経過とともに馴化し、解釈が変わり、さらに自分の都合よく編集することができる。

・記憶を貯めるためには、手間と時間を掛けても外部記憶を活用することが必要。

外部記憶に意識的に記憶を残し、定期的にそれらを想い出し、編集を加え続けることによって人生のストーリーが完成する。その作業自体と結果としての記憶がHappy Ending となる人生である。