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「恥」と生前整理

「見苦しい死に方はしたくないからね……」

と数年前に生前整理をはじめた母は私にこう言いました。
すでに老人ホームに転居しましたが、今でも至って元気に暮らしています。

「見苦しい死に方」とはどのような状態でしょうか?

「見苦しい死に方」をどう思いますか?

死んだ後はどうでもよいでしょうか?
「見苦しい死に方」はしたくないと思った人に、生前整理の入口をご案内しましょう。

見苦しい縫い目のある裏面

「見苦しい」を和英辞書で調べてみるとseamyとあります。縫い目のある裏面、醜い、不快な、ラフなとあります……

seam とは縫い目であり、seamlessが縫い目、つなぎ目のないことを指すように、seamがない方が綺麗で強いとされているのです。靴の皮もそうですよね。一枚皮でできている靴は高価です。

さらに、”the seamy side of life”は、 人生の裏面, 社会の暗黒面などと、seamyに強烈なマイナスイメージが込められています。

裏表を間違えて着ていると、笑われます。縫い目は人に見せるものではないからです。
(普段見せているのは表だけだが……)

しかしながら、seamを考えて見ると、人生は様々な生地を縫い合わせているようなものだと言えませんか。

それも、縫っては、ほどいて、再度縫い合わせたりの繰り返し……
その結果、表はキレイですが、裏はゴチャゴチャ……

誰にでも人に見せたくない、縫い目のある見苦しい裏面がありますが、普段は人に見られずにすんでいます。

「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」……
最近このような日本語を聞いたことがありますか?

見苦しいところを見せることの問題点は2つあります。

第一に、人に嫌な思いをさせてしまうこと。
第二に、見苦しいところを見せてしまった自分自身の恥ずかしさです。

「見苦しい」は、見た方が苦しいのでしょうか?
「見苦しい」は、見られた方が苦しいのでしょうか?

どちらかと言うと、見られた方が苦しいのではないでしょうか。
突き詰めると、「恥」に行き着きます。

新渡戸稲造は「武士道」に廉恥心としてこのように書いています。

”すなわち廉恥心はサムライが少年時代から最初に教えられる徳のひとつであった。

「笑われるぞ」
「名を汚すなよ」
「恥ずかしくないのか」

といった言葉は、過ちを犯した少年の振る舞いを正す最後の訴えであった。”

子どもの頃から日本人は「恥」の道徳意識の下で育てられてきたのです。

「見苦しい死に方」をしたくない理由は、日本人の道徳律の一つである「恥」にあります。

生前整理とその目的

整理の対象は様々ですが、ここでは生前整理の対象を家財を中心としたモノに限定することとします。

今は、掃除機をかけて、食器も洗い、鍋、釜は磨き上げられ、古い書籍や衣類はその都度処分しているでしょう。そうでなければ、家の中はとっくに足の踏み場もなくなっているはずです。

身の周りが整理整頓されてスッキリしている状態が、生活レベルと精神を向上させることはご存知の通りですが、日常の掃除や片付けをあえて生前整理と言う必要はありません。

日常の片づけ、整理整頓と生前整理の違いが何にあるかと言えば、「見苦しい死に方」をしないことを目的にしているか否かの一点にあると言えます。

「見苦しい死に方をしない」には、実に様々な価値観が包含されていますが、「見苦しい死に方をしない」はそれらを統合した上で、とてもわかりやすく簡潔な表現だと言えます。

生前整理に対する適切な反対語が見つかりません。

死後、家族を含めた他人が行う整理を一般的に遺品整理と称していますが、遺品整理は「恥」とは無関係な作業に過ぎません。

もちろん、生活をしていれば、何もかもなくしてしまうことはできないので、死後に整理するものは必ず残ります。問題は、その残されたものに本人の意図が如何に現れているかにあると言えるでしょう。

生前整理の目的は、「見苦しい死に方をしない」の一点にあります。

見苦しさの進行プロセスと遺品整理

私は何回も遺品整理の「現場」に立ち会ってきました。

本人が生きていて老人ホームなどに転居した後でも、靴を脱いでは上がれないような場合が少なくありません。
よくこの状態で生きていたものだと感じることが決して少なくないのです。

何かの原因によって、整理されない生活が始まり、最初は違和感があったかもしれませんが、いつの間にかそれに慣れていってしまいます。人間はどんなことにも馴化します。

そうなる原因と過程はさまざまですが、

・足腰が弱くなって、ゴミを捨てに行くのが億劫になる。
・認知症が進行してくる。
・ゴミが部屋に溢れていると、掃除機を掛ける気がなくなる。
・そして、ゴミの上に布団を敷いて寝るようになる。布団をたたまなくなる。
・流しで洗い物をしなくなる。
・布団の上で寝ることができなくなくなり、ソファーで寝るようになる。
・トイレの掃除をしなくなる。

そのうち悪臭が漏れて近所から苦情が出る。
地域包括支援センターの職員によって助け出されて、病院に入院する。あるいは老人介護施設に収容される。
孤独死として発見される。

多くの人が最後はおひとりさまです。
あなたはどのような最期を迎える予定でしょうか。

「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」と言いたくないとしたら、下の2点を認識する必要があります。

1.死んでしまったり、認知症になってしまってしまうと、見苦しい縫い目を見せざるをえなくなること。

2.そして、誰も死を逃れることができないこと

主人のいなくなった住まいを想像してみる

もし、今突然死んでしまったり、認知症になったとしましょう。
当然、住まいは今のままです。

そのまま、自分の子どもに、孫に、近所の人に、友人に見られても「見苦しい」と思われない状態でしょうか?
あるいは、「さすがね!」と言われる状態でしょうか。

生前整理は、見苦しい死に方をしないため、自分のアイデンティティを最後まで全うするための備えです。

見苦しい死に方をしたくないと思った人はこちらのウエビナーから生前整理をはじめたらいかがでしょうか。
モノの整理はキモチの整理と連動します。Happy Ending への起点としてモノの整理はおすすめです。

オンデマンドウエビナー「生前整理の力」

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