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「ああ、なんということだ……」タイタニック号スミス船長の最後の航海の後悔

「ああ、なんということだ……」
1,502人の犠牲者!
見張りが氷山に気づいた時には手遅れでした……

スミス船長が氷山を回避することができなかった理由は何?

スミス船長の航海/後悔は私たちの人生にとっても貴重な教訓です。
人生も長い航海だと言えませんか?
気づいた時には手遅れ……
人生における氷山と衝突したくない人はお読みください。

タイタニック号北大西洋に沈没 1912年4月15日(月)午前2時20分

・乗客、乗組員2,212名中1,502名の乗客、乗組員が死亡
・沈没後、回収された遺体は328体、1,174名の遺体は未回収

タイタニック号の船長 エドワード・J・スミス

ホワイトスターライン社の大型客船の船長を次々と務めたベテランであり、同社のコモドア(主席船長)でした。

そして、タイタニック号の処女航海を最後の航海として引退するつもりであったとも言われています。

タイタニック号はスミス船長の指示通りに航行していました。船の運航と安全に対してすべての責任を負っていますから、氷山との衝突事故の責任は全てスミス船長にあります。

スミス船長の最後の航海は文字通り最後の後悔となってしまったのです。その原因に興味がありませんか?

氷山に衝突しさえしなければ避けられた後悔

犠牲者が多くなった原因は船体の設計、救命ボートの搭載隻数、石炭庫の火災、救命ボートの運用など様々な要因の積み重ねとなりますが、氷山に衝突さえしなければそれらの被害を加重した要因は問題とならず、無事にニューヨークに到着していたはずです。

そこで、今回はなぜ、スミス船長が氷山との衝突を回避することができなかったのか?の1点に絞ってその原因を考えてみましょう。
タイタニック号が氷山と衝突して沈没するまでの1912年4月14日から15日までの流れを時系列で確認していきましょう。

タイタニックの出港から沈没に至る経緯

4月11日(木)
13時30分 クイーンズタウン(現コーヴ/アイルランド)出港
当時の北大西洋はかつて無いほど大なぎで、風も波も立たない静かな海でした。

4月14日(日)

  9時00分 浮氷源を発見したとの無線連絡を受信 キャロニア号より

11時20分 浮氷源を発見したとの無線連絡を受信 ノールダム号より

13時42分 浮氷源警報を受信 バルチック号から受信

13時45分 氷山警報 アメリカ号からニューファンドランド経由

15時から19時まで無線機が故障

19時30分、氷山の目撃警報 カリフォルニアン号からタイタニック号宛て

21時40分 氷山の目撃警報 メサバ号からタイタニック号宛て

22時30分 氷山の目撃警報 ラッパハノック号から警報

22時55分 「 氷に取り囲まれ身動きができなくなっている」近くを航行中のカリフォルニアン号からタイタニック号へ

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23時40分 500ヤード先方にある氷山を見張り員が発見して警報

面かじ一杯(左に変針) 後進全速するものの、右舷が氷山と衝突

スミス船長 停船と損害の確認を指示

4月15日(月)

午前0時00分 スミス船長は、建造責任者のトーマス・アンドリュースと船体の損害を確認し、アンドリュースからタイタニックが1時間半後に沈没することを確認

午前0時15分 スミス船長は航海士長のワイルドに救命ボートの用意を指示

午前0時15分 スミス船長は救援信号CQD、SOS発信を指示

午前0時20分 乗客が救命ボートに乗船開始

午前0時25分 カルパチア号から「 全速で急行する」との通信を受信。距離58マイル(到着まで4時間かかる)

午前2時  5分 スミス船長 乗組員の任務を解き、各人の救命を指示

午前2時20分 沈没

スミス船長が氷山との衝突を回避できなかった理由

無知による過信と傲慢

リスクについて無知であれば、危ないことをやっていても危ないことに気づきません。
そして、無知は過信と傲慢を生みます。

スミス船長が氷山との衝突を回避することができなかった理由は、リスクに無知であった結果、傲慢にもリスクを冒して流氷原を高速で航行したことにあります。
*スミス船長にはどの程度のリスクを冒しているかについても認識がなかったのです。

無知であったかどうかは、他の船の対応とその結果を見ればわかります、その例を2つ上げてみましょう。

1.カリフォルニアン号の氷山への対応
タイタニック号の近くを航行していたカリフォルニアン号(タイタニック号に大氷山の存在を無線で警告した船)が氷山との衝突を避けるために14日から15日の夜間は停船していました。近くにいたマウント・テンプル号も同じく停船して夜明けを待ちました。

☞ 結果として、カリフォルニアン号とマウント・テンプル号は氷山と衝突を回避することができました。

2.米国事故公聴会における南極探検家サー・アーネスト・シャクルトンの証言

有名な南極探検家シャクルトンは米国の公聴会で次のように証言しています。

「 浮氷原の中を22ノットで航行する権利は誰にもありません」

・南極の氷の近くでは、氷に耐えるように特別に建造された自分の調査船でさえ、わずか4ノットに減速して航行していた。

・氷山は高い見張り台からでは視認できない。船首の低い視点から星明かりの水平線に向かって海面を見張るべきであった。

☞ 極地探検の専門家であるシャクルトンは、スミス船長が流氷原の航行の仕方を全く理解していなかった、無知であったと感じたようです。

過信と傲慢の理由

タイタニックは、他船からの数多くの氷山に関する警報を無線で受信しており、流氷原の存在を認識しているにもかかわらず、22ノットという最高速で航行を続けました。
流氷原のリスクを承知でそれを放置した理由は次のような無知からくる過信と傲慢です。

1.不沈神話
タイタニック号は当時世界最大の客船であり、船体には16の防水区画があるために、不沈船と言われていました。しかし、それは浸水が2区画に止まっていた場合という条件付きのことでした。

タイタニック号は氷山との衝突によって6区画の船殻が同時に破られてしまったのです。
さらに、その16の防水区画のうち、船体中央の8区画は設計上、隔壁が上部の甲板まで達していないため、その区画が満杯になると順次隣の区画へ水が流れ込んでしまう構造になっていました。船首から沈下したタイタニックは8つの防水区画が次々と海水で一杯となり、沈没していったのです。
このような設計のタイタニック号を不沈船と考えた結果が、安全姓への過信を引き起こしました。

2. 氷山に対する充分な監視を怠った
不充分な見張りの体制であったにもかかわらず、氷山を見つけることができると過信していました。
<1>天候
月のない暗い夜であり、風も吹かず、波も立たな大なぎであったため、海水の白い波が立たないので、氷山が発見しにくい状況でした。

<2>氷山の色
ひっくり返ったばかりの氷山は青黒く、その姿は海に溶け込んでいた。結果として、衝突直前にその存在に気づくことになったのです。

<3>見張り員の人数
流氷原のリスクがあったにもかかわらず、見張り員は普段通りブリッジ上に二人のままでした。氷山に備えて増員の指示はありませんでした。

<5>見張り員の位置
シャクルトンの証言の通り、氷山はブリッジ上の高い位置からではなく、船首の低い位置から監視すべきであったのを怠ったこと。あるいはその必要性を知らなかったこと。

<6>ブリッジ上の見張り員にはあるべき双眼鏡がないことがわかっていたにもかかわらず対処しなかったこと

3.回避行動への過信
22ノットで航行していても、氷山を発見してから操船によって回避することができると考えていたこと。見張りが氷山を発見した時にはすでに衝突寸前でした。
氷山を発見してから回避するには22ノットというスピードが速すぎたのです。

港(ニューヨーク)に早く到着したいというプレッシャー

飛行機のない当時、大陸を結ぶのは船しかありませんでした。そして、当然のこととして早い船が求められたのです。スミス船長は、競争の激しい大西洋航路においていち早くニューヨークに到着するというプレッシャーにさらされていました。

これらの無知と過信は、一刻も早くニューヨークに入港するという目的達成のために、流氷原の中を22ノット(最高速)で航行するリスクを都合よく打ち消す口実ともなったわけです。
リスクを認識しながらも、大丈夫だと思いたかったのです。

スミス船長の最後の航海の後悔

「ああ、なんということだ……」
というスミス船長のため息にも似た独り言が彼の後悔の全てを現しています。

氷山との衝突はスミス船長の経歴を破滅させるだけでなく、乗船者半数に対する死の宣告でもありました。

なぜならば、救命ボートは乗客、乗組員2,207人に対して1,178人分しか搭載していなかったからであり、救命ボートに乗ることができない人が泳ぐことになる当時の大西洋の水温は、 氷点下2度。 低温症で20分で人の命を奪う冷たさだったからです。生存したライトラー二等航海士は、海に投げ出されたときに「1000本のナイフで刺されたようだ」と表現しています。

このように見てみると、氷山との衝突は偶然ではなく、確率の問題でした。
たくさんの氷山と船が行き交えば、いつかはどの船かが衝突することになります。
確率は小さければ大丈夫だと考えるのは間違いです。万が一だとしても、自分が衝突してしまえば、100%となるのですから。

スミス船長は停船や減速さえすれば、そのリスクを低下させることができたにもかかわらず、氷山との衝突を回避するためになんらの行動も取りませんでした。

その理由は、早期到着のプレッシャーがあったとしても、氷山に対する無知と自分の船に対する過信による傲慢だっと言えます。
無知は過信と傲慢を生むのです。

今までは大丈夫だった……
自分は大丈夫だ……

スミス船長は、自身の選択の結果、最後の航海後悔しても後悔しきれない航海としてしまいました。
それは、偶然でもなんでもなく、自分の選択の結果だったのです。
後悔とは自分の取った選択に対する感情です。
さて、スミス船長の後悔は私たちにどのような教訓を与えてくれたでしょうか?

人生という名の航海を航行する船長にとっての氷山

人生も港から港へと渡る航海だとは言えないでしょうか?
スミス船長のように「ああ、なんということだ……」とつぶやくような事態に陥りたい人はいません。

そこで、人生の後悔における氷山についてです!

✅もし、人生に待ち構えている氷山(リスク)とその位置がわかったら、知りたいと思いますか?

✅もし、人生に待ち構えている氷山(リスク)との衝突を回避する方法を予めしりたいと思いますか?

✅人生の氷山(リスク)とその位置を知るためにある程度の費用を支払ってもよいと思いますか?

✅人生の氷山(リスク)とその位置がわかり、回避する方法を教えてくれるものがあったら、それを試してみたいですか?

以上がYESであれば、Happy Ending カードをプレイしてみてください。
気づいていない氷山(リスク)を知り、気づいている氷山(リスク)の大きさを改めて確認することによって衝突を避けることができます。

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🔔 人生を沈没させる氷山(リスク)を予め確認することができるので、安心して人生の航海を続けることができます。

🔔 氷山(リスク)への備えをひとつずつ実施していくこと自体が生きがいとなります。あなたの人生の航海を意味あるものとし、素晴らしい体験として記憶することができます。

🔔 後悔するリスクの減少は、即ち老後の不安の解消です。夜はぐっすり眠れて、朝はスッキリ起きることができるようになります。

🔔 後悔を最小化する結果、家族ともども、老後をのんびり、のびのび、気分よく暮らすことができるようになります