🔷 いつの間にか生きる甲斐を見失ってアウシュヴィッツの囚人のように暮らしているかもしれない人間とは!?
🔷 生き甲斐を失うと生き延びることができない理由
🔷 人生から問われる生きる意味とは?
🔷 生き甲斐を見つける問いの要件とは?
アウシュヴィッツの囚人たち
絶滅収容所と言われたナチス・ドイツがつくった強制収容所は、人間の尊厳など存在しない、地獄のような場所であったことはご存知だと思いますが、その極限の環境の中でも生き延びた人がいました。
生き延びた人と生き延びることができなかった人
その違いに興味はありませんか?
過酷なアウシュヴィッツで生き残ったのはどのようなタイプの人だったでしょうか?
興味はありませんか?
・体力のある人?
・知識のある人?
・人間関係が上手な人?
・ルックスがよい人?
いずれでもありません……
生き残ったのは、「生き延びたい人」ではなく、生きる意味(生き甲斐)を持っていた人だったというのです。
アウシュヴィッツで生き残った一人である精神科医のヴィクトール・フランクルが「夜と霧(原題:強制収容所における一心理学者の体験)」に生き残ったその体験と生き残った理由を心理学者の視点から描いています。
私たちはアウシュヴィッツとは縁のない全く平和で自由な日本に暮らしていますが、「生き延びたい人」と「生きる意味(生き甲斐)を持っている人」のタイプの違いについてアウシュヴィッツの囚人から学ぶことがあります。
確認しておきたいと思いませんか?

生きる意味のコペルニクス的転換
コペルニクス的転換
地球の周りを太陽が回っているという従来の常識を、逆に地球が太陽の周りを回っていると覆したことから、考え方や認識の大逆転を意味する言葉が「コペルニクス的転換」です。
フランクルがアウシュヴィッツを耐え抜き、生き残ることができた理由は、生きる(人生)意味のコペルニクス的転換にありました。
「ここで必要なのは、生命の意味についての問いの観点変更なのである。
すなわち人生から何を我々はまだ期待できるのかが問題なのではなくて、むしろ人生が何を我々から期待しているかが問題なのである。」
「人生は我々に毎日毎日問いを提出し、我々はその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。
人生と言うのは、結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各自に課する使命を果たすこと、日々の勤めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。」
「この日々の欲求と存在の意味とは人毎に変わるし、また瞬間ごとに変化するのである。
したがって、人生の生活の意味は決して一般的に述べられないし、この意味についての問いは一般的には答えられないのである。
ここで意味される人生は、決して漠然としたものではなく、常にある具体的なものである。」
フランクルはアウシュヴィッツの過酷な環境の下においても「生きる意味」を見出し、持ち続けることができたのです。
生き甲斐(生きる意味)を待たずに生き延びることを望んだ人の行く末
フランクルはアウシュヴィッツにおいて1944年のXmasと1945年の新年との間に大量に囚人が亡くなった事実とその原因について述べています。
🔹 Xmasの大量死亡と原因
①囚人の多数がクリスマスには家に帰ることがだろうと言う素朴な希望を持っていたこと。
②そして、結果としてその希望が打ち砕かれたこと。
🔷 解放の日を前にした死亡と原因
①大戦末期に連合軍が収容所に迫って来るとの情報を聞いた囚人たちは収容所から解放される日予想したこと。
②しかし、その希望的な想定日を夢にまで見た人はその日が経過した翌日に死亡したこと
フランクルは、アウシュヴィッツで命を落とした人々の中に、明らかな病や暴力ではなく、抵抗することなく静かに死んで行った人たちがいることを観て、そうした人たちの姿に、ある共通点を見出しました。
彼らは、「なぜ生きるのか、何のために生き延びるのか?」という問いを持たないまま、収容所にいたというのです。
生きる目的を持たずに生き延びることだけを願うだけではアウシュヴィッツの今日を耐え抜く力がなかったのです。
そこで、フランクルは気づきました。
生きる意味を持たずに、生き延びること自体を目的にした者は、ある時点でその目的を見失うのに対して、生きる意味をはっきりと持っている者は、いかに苦しくても、耐え続けることができるということを。
この違いが、アウシュヴィッツにおける生と死を分けたというのです。
アウシュヴィッツにおける人生の問いに対するフランクルの生きる意味
フランクルは、アウシュヴィッツの酷い環境の下で創り上げた生きる意味(彼のいうトリック)が彼を生き延びさせたと言います。

「突然、私自身は明るく照らされた美しくて暖かい大きな講演会場の演壇に立っていた。私の前にはゆったりとした。クッションの椅子に興味深く、耳を傾けている聴衆がいた。そして私は語り、強制収容所の心理学についてある講演をしたのだった。
そして、私をかくも苦しめ、抑圧するすべてのものは客観化され、科学性のより高い見地から見られ描かれるのであった。このトリックで、私は自分を何らかの形で、現在の環境、現在の苦悩の上に置くことができ、またあたかも、それが既に過去のことであったかのように見ることが可能になり、また苦悩する私自身を心理学的、科学的探求の対象であるかのように見ることができたのである。」
フランクルは過酷なアウシュヴィッツにおける人生からの問いに対して、「この酷い経験を心理学の観点でまとめて講演することを生きる意味とする」と応えたのです。彼はこれをトリックと言っていますが、人生にはこのように生きる意味を創り出す必要があり、その効用を証明したと言えるでしょう。
では今、世界でもっとも自由で安全、平和な日本に暮らす私たちは人生からどのような問いを受けているでしょうか?
アウシュヴィッツ(生き甲斐を忘れた人の収容所)に迷い込んだ現代人
現代の日本に住む私たちは、アウシュヴィッツとは比較にならないほどの自由と安全の中で生きています。食べ物もある。住む場所もある。好きなことを自由に発言することができるではありませんか。
たとえば、
・毎日仕事に行って報酬を得ることができる。
・好きなところで気の合う人と食事をして、
・帰宅してからはSNSを見て、ゲームをして、ネットで買い物して、Youytubeを眺めて眠る。
しかし、突然人生から次のように問われたら何と答えますか?
「あなたは何のために生きているのですか?あなたの生き甲斐は何ですか?」

毎日仕事に、家庭のために忙しくしているから、疑問に思わなかったけれども、忙しいから生き甲斐のある人生を送っているとは限りません。
アウシュヴィッツの囚人たちは休む間もなく働かされたのですから。
むしろ、忙しい方が危ないかもしれません。
「自分の生き甲斐って何だっけ?……
何のために生きているのだろう?……」
即答することができる人がどれだけいるでしょうか?
人生からこの問いを投げかけられた時に、
今まではあったはずの自分の生き甲斐をいつの間にか見失っていたことに気づくかもしれません。
ここはアウシュヴィッツではありませんが、生き甲斐を見失ったアウシュヴィッツの囚人の多くがフランクルが書いた通り死んでいったことを想い出してください。
あなたは「生き甲斐を忘れた人の収容所」に迷い込んでいないでしょうか?
人生からの問いを無視して自らそれらの問いから離れていってしまっていないでしょうか?
人生から自分が意味を問われているという視点

フランクルは問いを、コペルニクス的に180度反転させました。
「人生に意味を問うのではない。
人生のほうが、私たちに問いを投げかけているのだ」
「自分は、どう応えるか?」
「自分は、いまこの状況に、どう向き合うのか?」
人生は、私たちに問いかけ続けています。
それは、善悪を問うものでも、正解を求めるものでもありません。
この視点に立つと、世界の見え方が変わります。
🔹「なぜ、こんなに苦しいのか」ではなく、
→「この苦しみに、私はどう応えるか?」
🔹「なんで私だけこんな目に?」ではなく、
→「この出来事を、私はどう意味づけるか?」
🔹「何のために生きているのか」ではなく、
→「生きることで、私は何に応えることができるのか?」
このように理解すると、生きるということは人生から投げかけられる問いに応える旅だであると位置づけることができます。
そして、その応え方こそが――
問いに答える人にとっての生き甲斐なのです。
人生からの問いを可視化するー自分で生きる意味をみつけるために
生き甲斐を見失っていたとしたら、人生からの問いを可視化しましょう。
問いが先で解は後です。
意識で考えるためには可視化する必要があります。
人生で重要な選択をするとき、あいないな問いは選択を困難にします。何が問われているかが正確にわからなければ、正しい応え方をすることができなからです。
では、どうすれば人生からの問いを明確にし、適切に向き合うことができるのでしょうか?人生からの問いを可視化するために必要な要件は次の3つです。
✅ 要件1:問いのフレーム化(構造と網羅性)
人生には健康、人間関係、お金、生き甲斐……といった多様な側面があります。
それぞれに異なる不安や選択が存在し、問いもまた多様です。
まず必要なのは、それらの問いを「視点=フレーム」として構造的かつ網羅的に整理することです。
問いがフレームという“枠”を持つことで、初めて私たちはそれを扱うことができるようになります。
✅ 要件2:問いの言語化とイメージ化(認知の橋渡し)
問いは言葉になって初めて、意識の対象となり、家族などの他者と共有が可能になります。
しかし言葉だけでは理解しにくいこともあります。
そこで、視覚的なイラストや、情景を伴う映像などのイメージを加えることで、私たちはより深く、感情を伴って問いに触れることができます。
言葉とイメージ――両者の橋渡しが、内面の気づきを促すカギとなります。
✅ 要件3:問いの選択のプロセス
人生の問いは多種多様です。
すべての問いに一度に応じることはできません。
時にはすでに応じた問いがカタチを変えて再び現れるかもしれません。
その問いに対する応じ方も、その問いを受ける際の環境によって異なります。
そこで、応じるべき問いを選択するプロセスが必要です。それがなければ問いの海の中で溺れてしまいます。
この3つの要件がそろって初めて、私たちは「ぼんやりとした不安」や「漠然とした選択」を、明確な問いとして認識し、向き合い、乗り越えることができます。
このような要件を兼ね備える問いを選択する仕組みをご存知ですか?
3つの要件を満たす“問いの可視化ツール
Happy Ending カードは、この3つの要件を充足する仕組みです。
可視化された人生からの問いを確認して、生き甲斐を見つけることができます。
Happy Ending カードについてはこちらをご覧ください。
なぜ今までなかったのか?──人生の「問い」を可視化するツールの登場
「何か、やらなきゃいけない気はするんです……
でも、何から考えればいいのか分からなくて…」
人生後半の不安を語る方から、よく聞かれる言葉です。
終活、介護、老後資金、相続、ライフシフト、NISA…
世の中には人生の整理を支援する情報やサービスが溢れています。
でも、なぜか本質的な不安は、解消されません。
それはきっと、「情報」が足りないのではなく、
「問い」が整理されていないからではないでしょうか?
問いを扱うことは、なぜこんなにも難しいのか?
実は、「問い」は「答え」よりもずっと取り扱いが難しいものです。
・正解がない
・人によって解釈する意味が違う
・抽象的で、言葉にしにくい
そのため、これまでの人生支援ツールは、
・問題が起きたときの「対処」や「選択肢の提示」
・必要事項を埋める「エンディングノート」
・老後資金の「シミュレーション」
といった「課題解決型」のものがほとんどでした。
まだ問題が起きていない段階の「問い」に向き合うツールは、ほとんど存在してこなかったのです。
それでも、本当に必要だったのは問う力
人生の終盤に差しかかると、私たちはさまざまな選択を迫られますが、
「どこに住むか」や「何を残すか」といった選択肢の前に、
「自分はどう生きたいのか」「何を大切にしていたのか」といった問いが先にあるべきだと思いませんか?
この問いが曖昧なままだと、選択に確信が持てず、後になって「あれでよかったのか?」という後悔に苦しむことになります。
以上の問題点をHappy Ending カードは解決します。
今の人生が忙しすぎる、あるいは習慣に縛られて長いこと同じことを繰り返していると思った人。
人生からの問いが気になる人はHappy Ending カードをプレイしてみてください。