自分が主演する映画の最初の20分間と最後の10分間は自分で観ることができない!?
どういうこと?
生まれて幼い時期と終末期には自分が主演者であっても自分でそれを観ることはできません。それは、この映画を観るとよくわかります。
同じ老人ホームに2度もお世話になったベンジャミン・バトン
数奇な人生をたどったベンジャミンは生涯に2度も老人ホームのお世話になりました。
というのは、認知症になって徘徊するようになった後だけでなく、生まれたその日に老人ホームに捨てられたからだったのです。
この映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は一度観ることをオススメしますが、一度観たら何回も繰り返して観たくなるので、覚悟して観てください。
【ベンジャミンとデイジーの数奇な人生のあらまし】
(ネタバレご注意)
🔹 ベンジャミンは生まれた時すでに外見が老人だった
🔹 生まれた日に母は死に、父親に老人ホームに捨てられた
🔹 老人ホームのクイニーが我が子のように育ててくれ、老人ホームが家となった
🔹 老人ホームで将来結婚することになる少女のデイジーを知り合った
🔹 タグボートの船員となって第二次大戦時にドイツの潜水艦Uボートと戦い、船は沈んだが助かった。
🔹 自分を捨てた父親と再会して、病気の父親を看取った。父親のボタンの製造会社と財産を相続した
🔹 デイジーはパリでたまたまが重なり自動車事故で大けがをする
🔹 デイジーと父親から相続したヨットでクルージングに出た
🔹 デイジーとの間にキャロラインが生まれたが、年々外見が若くなるベンジャミンは二人をおいて世界を放浪する旅に出る
🔹 認知症となって徘徊していたベンジャミンは市の職員に保護された。
🔹 ベンジャミンが持っていた日記帳からかつての家だった老人ホームがわかり、介護を受けるようになった。
🔹 ベンジャミンが帰ったことを聞いたデイジーは老人ホームに移り住み、ベンジャミンと一緒に暮らし、最期を看取った
🔹 最期のベンジャミンの外見は生まれた時とは打って変わってかわいい赤ん坊だった
🔸 彼の一生は彼の人生の物語として日記帳にすべて記されていた
生まれた時から外見が老人だったベンジャミンは成長とともに次第に若返っていきます。
映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」から学ぶことができることとは?
今後この映画からいくつかのテーマを紹介する予定ですが、今回のテーマは「ボタン」「遺言」「バトン」です。
名作のエピソードを自分の人生にいただく名作を自分の人生に生かすシリーズ
興味があれば続いてお読みください。
ボタンとバトン
ボタン
主人公の名前はBenjamin Button
Buttonの発音記号は ”bʌ’tən” ですが、日本人はボタンと発音していますよね。
捨て子だった彼は養母クイニーからとっさにベンジャミンと名付けられ、その後実際の父親であったボタンの製造メーカーの社長の姓を名乗ったのです。ベンジャミン・ボタンです。
なぜ、父親をボタンメーカーの社長にしたのでしょうか?
ボタンの機能は二枚の布地を留めることがです。ボタンは繋ぐのです。
この映画のオープニングはボタンが溢れ出します。
バトン
一方、バトンという読みからは “baton” を連想します。
“baton”という単語はリレー競技、器械体操におけるバトンや、オーケストラの指揮者の指揮棒のイメージですが、「移譲を意味する棒」という意味もあるのです。
「バトンを渡す」という言い回しは、責任や役割を他の人に託けることを意味します。このように、”baton”には物理的な道具としての意味だけでなく、象徴的な意味も含まれています。
このようにバトンとボタン ふたつとも何かを繋ぐ機能を有しています。
ベンジャミンは何と何を繋いだのでしょうか?
臨終の床にあるデイジー

映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の幕は、ハリケーンが接近するニュー・オーリンズの病院で臨終の床にあるデイジーのシーンから明きます。彼女は逆方向に回る時計を回想しながら、自分の人生の最後の務めを果たそうとしていました。そしてこの映画はこの病院でデイジーが瞼を閉じて亡くなることによって幕を閉じます。
デイジーとキャロラインはベンジャミンの一生涯を2〜3時間で体験することになるのです。
臨終の床にあるデイジーは、一人娘のキャロラインにカバンの中にある皮の表紙の日記帳を声を出して読み上げてほしいと頼みます。
キャロラインが日記帳だと思って開いてみると、最初に遺言と書いてあります。
誰が何のために書いたのかを知らずにキャロラインはデイジーの求めに応じてその冊子を読み上げ始めます。キャロラインが読み上げたのは、彼女の知らない父親であるベンジャミンが書き残した数奇な人生の物語であり、遺言だったのです。
遺言と人生の物語
あなたは、もし死んだ父親の日記を見つけたら早速読んでみたいと思うでしょうか?そこにはあなたのことも書いてあるかもしれませんよね。
どうでしょうか?
是非読んでみたいと思う人ばかりではないのではないでしょうか。有名人のスキャンダルは気軽に見聞きすることができますが、身近な人の秘密には自分も関係しているかもしれず、知りたい情報ばかりとはと限らないし、知りたくない情報があるかもしれないからです。
キャロラインもそう思ったかもしれません。しかし、キャロラインはその冊子を書いたのが自分の本当の父親であったとは知りませんでした。
しかし、読み上げていくうちに、この男の生い立ち、母デイジーと出会って付き合っていたこと、そして自分の出産…
そこまで来て、はじめてその物語の筆者であるベンジャミンが自分の父親であることに気づいたのです。
その後の父親の人生のことも……
それを自分に知らせるために臨終の床にある母親のデイジーがこれを自分に読ませたことを……
冒頭にこれが遺言であると書かれていましたが、ベンジャミンにはすでに相続させるべき財産はありませんでした。遺したのは自分が生きた証しとデイジーとキャロラインへの想いだけだったのです。
ベンジャミンからキャロラインへのメッセージ(抜粋)……
There’s no time limit.
Start whenever you want.
(タイムリミットは無い。お前が好きなときに始めればいいんだ。)
We can make the best or the worst of it. I hope, you make the best of it.
(人生は最高にすることもできるし、最悪にすることもできる。お前には最高の人生にしてほしい)
And if you find that you are not, I hope you have the strength to start all over again.
(もし、おまえが最高の状態でないとしたら、再びスタートする強さを持ってほしい)
バトンとしての物語
ベンジャミンは認知症になる前に自分の物語を書きあげることを意識していました。デイジーとキャロラインにバトンとして渡すためです。
ベンジャミンは、この日記帳で何をバトンしようとしたのでしょうか?
🔹 自分がどう生きたか
🔹 なぜそうしたのか
🔹 何を大切に思ったのか
ここで注意が必要なのは、ベンジャミンが自分で直接デイジーとキャロラインにバトンすることができたわけではないという点です。
デイジーには徘徊中に保護してくれた市の職員がバトンしてくれました。
キャロラインにはデイジーが臨終の床でバトンしたのです。デイジーはキャロラインにバトンを渡して息を引き取ったのです。しかし、バトンはしっかりとキャロラインに渡りました。
バトンを受け取ったキャロライン

ベンジャミンの物語を読み上げたキャロラインは,自分の誕生の秘密や,父母が演じた物語を知ることになりました。読み上げ終えたキャロラインは、涙を流しながらもどこか吹っ切れた表情になります。
自分のことをデイジーにとってあまりよい娘だと思っていなかったキャロラインは、実際の父であるベンジャミンの生き様と彼女へのメッセージを読み上げてどう想ったのでしょうか?
また、彼女はそのバトンを誰にどのように渡そうと思うでしょうか?
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もし、キャロラインがデイジーからベンジャミンのバトンを渡されなかったら、デイジーの死後キャロラインの人生はどのようなものになったでしょうか?
渡された場合と渡されなかった場合に違いをあなたなりに想像してみてください。
その違いがバトンの価値です。
自分はどのようなバトンを渡されて、誰に渡すのか?
ベンジャミンのみならず誰でも両親からDNAのバトンを渡されていることは明らかですが、ベンジャミンがキャロラインに渡したバトンはDNAだけではありませんでした。
あなたはどうでしょうか?
まず、自分はどのようなバトンを受け取ったのだろうか?
それとも何も受け取ってないのだろうか?
受け取ったが、気づいていなかったのかもしれない…
気づいていたけれども、そのバトンをちゃんと意識していたのだろうか?
そして、そのバトンを誰に渡すのだろうか?
さらに、あなたが新たに作り出すバトンは何なのか?
渡されたバトン、渡したいバトンを考えるのは今後の人生を組み立てるために、意味のあるステップだと思いませんか。
一度きりの人生を意味あるものとする
無秩序な世界に生きている中で人生に何らかの意味を持たせたい。
それを誰かに伝えたい。
老後を迎えて自分の人生を振り返った時に多くの人がこのように思うようです。
バトンは自分で自分の人生に意味を与えるものであり、その意味を誰かにわかってもらいたい。社会的な動物である人間はそう思うものです。従って、自分の頭の中にあるだけではバトンすることはできないのは明らかです。
まとまりがなく、一貫性のない映画を観たいと言う人はいないでしょう。一貫性のある物語としてまとめたいのは、誰かにそれをバトンとして渡したいからです。
バトンとしてまとめたくなるのは、余命が短くなってからが多いようですが、ちゃんとバトンしたい人はベンジャミンのように認知証となって徘徊する前に着手した方が賢明です。
一度きりの人生を意味あるものとしたいと思う人は、その物語のバトン作成にチャレンジしてください。
バトン作成にはHappy Ending カードを参考にしてください。
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」