A.前向きの人生

もし、JAL123便に乗っていたら?人生の砂時計とコントロールすべきこと

もし、あなたがJAL123便に乗っていたら?

1985年8月12日月曜日、私は上司を助手席に乗せて、社有車で国道20号線の日野橋を渡ろうとしていました。その時、つけていたラジオから日本航空のジャンボジェットがレーダーから消えたというニュースが流れたのです。
上司が言った「大変だ!」が忘れられません……

1985年8月12日月曜日のまだ明るい夏の夕刻でした……

JAL123便の墜落から39年の年月が経過していますが、いまだに毎年8月12日になると、この事故と御巣鷹山への慰霊登山のニュースが新聞、TV等のマスメディアで取り上げられます。それらを見てあなたは何を感じますか?

もし、あなたがJAL123便に乗っていたら?
あるいは、あなたの大事な家族が乗っていたら……

メタファーとしてJAL123便をとらえてみましょう。
JAL123便は何のメタファーなのか?

JAL123便の墜落

123便は羽田空港を18:12に離陸し、12分後の18:24に伊豆半島東海岸上空で圧力隔壁が損壊した結果、垂直尾翼が欠落してしまったとされています。

その結果、機体をコントロールすることができなくなったジャンボジェットはダッチロールをしながら焼津、大月上空を経て18:58に群馬県の御巣鷹の尾根(標高1,565m)に墜落しました。

離陸後わずか46分の出来事でした……

乗員乗客の生死と家族

乗員乗客524名のうち死亡は520名であり、生存者は最後尾に乗っていたわずか4名。
乗客の関係世帯は401世帯(夫254名、妻58名)、遺族は891名にものぼりました。

遺された家族にとっても次の通り悲惨な事故でした。

・一家全員死亡     :22世帯
・母子家庭となった世帯 :189世帯
・妻だけとなった世帯  :37世帯
・子供だけとなった世帯 :7世帯

(引用 「墜落の夏ー日航123便事故全記録 (吉岡忍著)」)

「本当に今までは幸せだったと感謝している」機上で綴られた遺書

数通公開されている機内で書かれた遺書から……

「 パパは本当に残念だ きっと助かるまい……きのうみんなと食事したのは最后だったとは……本当に今までは幸せだった と感謝している」

あなたが乗っていて手元に書くものがあったら、何か書き遺しますか?
書き残すとしたら、何を書き残すでしょうか?

さらに、そのような遺書を書く前に何をしようかと反実仮想してみてください。

残された遺書に関する新聞記事

東京新聞web版記事 ☞ https://www.tokyo-np.co.jp/article/48687

人生の砂時計

砂時計は上の動画のように透明なガラスでできています。

3分計、5分計、10分計と図る時間は様々ですが、砂が上から下に落ち切った時が、3分、5分、10分の経過を示めすのです。

その仕組みが機能するためには、時計の上部に残された砂の量が見えなければなりません。そのため、砂時計が英語で”hourglass” と言われるように、ガラス、プラスチックなど透明な素材で創られています。

 それに対して、「人生の砂時計」は少し違います。あなたの「人生の砂時計」にあとどのくらい砂が残っているかが見えますか?

「人生の砂時計」の上部に残された砂は余命、人生の残り時間を現しています。

しかし、上の動画のようにあなたにも誰にも人生の砂時計の上の部分にある砂(余命)は見えないはずです。

見えないということは、余命を予期することが難しく、突然お終いになることを意味します。

あなたが仮に60歳であれば、下の部分に60年分の砂が落ちているのがわかります。そして、まだ砂が落ち続けているので、生きているわけですが、あとどれだけ砂(余命)が残っているかはわからないのです。

あとどれだけ砂(余命)が残っているかわからないにもかからわず、私たちは死ぬつもりがなく、根拠なくしばらくは生きているつもりでいます。

生まれた以上いつかは死ぬことがわかっているはずであるにもかかわらず、なぜ、根拠なくしばらく死なない自信があるのでしょうか?

人生の砂時計に残された砂(余命)がどれほどあるかを知りたいとも思いません。
遺伝子の指示と過去の経験からしか判断することができない直観は死ぬ気がありません。なぜならば、今まで長いこと砂が落ち続けていたし、今も落ち続けているからです。即ち、経験からすれば、今まで生きてきた経験しかなく、死んだ経験がないからです。

私たちは生きることに慣れてしまって、死を忘れて生きています。

JAL123便に乗っていた人もまさか、その日のうちに人生の砂時計の砂(余命)が亡くなるとは思っていなかったことでしょう。

あなたには人生の砂時計に残っている砂(余命)が見えますか?
死(余命)を考えることができるのは人間にしかない意識なのです。

人生においてしたいことがある人、ない人

残された人生において明確にやりたいことがある人と、取り立てて目的を持たずに生きている人がいます。人生の砂時計を意識しておかないとどのようなリスクがあるでしょうか?

🔹残された人生においてやりたいと思っていることがある人

やりたいことがたくさんある場合には優先順位をつけて取り組む必要があります。全部はできないかもしれません。

優先順位は着手の順番です。

 

 

 

🔹残された人生において取り立ててやりたいことがない人
明確に人生の目標を掲げて生きている人はさほど多いとは言えず、むしろ、珍しいと言えます。では、やりたいことが取り立ててない人にとって人生の砂時計の砂(余命)はどうでもよいでしょうか?

ストラルドブラフ的にいくらでも時間があると思えば、やりたいことを考えていなかったかもしれません。しかし、自分がストラルドブラグではなく、余命が宣告されると、映画「最高の人生の過ごし方」のようにやりたいことが出てくる場合が多いようです。この映画では医師から余命半年と宣言されてはじめて人生の砂時計に残された砂(余命)がわかったのです。余命宣告を受けると時間に希少価値が生まれ、その反動でやりたいことが浮かんできます。

今は取り立ててやりたいことはないと言う人も、余命宣告を受けてやりたいことができる可能性があります。その後はやりたいことがあった人と同じポジションに立つことになります。

JAL123便の搭乗者は、羽田空港を飛び立って自分の余命を悟ることになります。その余命はごくわずかなものでした。その中で遺書を書いた人がいました。

コントロールすることができるものをコントロールする

JAL123便の搭乗者に人生の砂時計に残された砂(余命)をコントロールする力はありません。JAL123便の搭乗者のみならず、人間は自分の余命をコントロールすることはできないのです。

地震で建物の倒壊で死ぬ。急性心筋梗塞で死ぬ。海水浴で溺死する等々自分でコントロールできないことは山ほどあります。

では、何ができるのか?

人間がコントロールすることができるのは、やりたいことを決め、優先順位を決めて実行することです。時間が足りなくなることを前提にやりたいことをコントロールするのです。

それは、人生の砂時計の上部に残されている砂(余命)を意識してこそできることです。無限の時間があるストラルドブラグに優先順位をつける必要はありません。

多くの人が抱えるリスクは①自分の人生への関心(興味)の不足②時間の不足です。

なぜ、このふたつがリスクであるかと言うと、時間の不足に気づいてから自分と家族の人生への関心(興味)が生じても間に合わないからです。

このふたつが不足する原因は、ストラルドブラグ的な生き方であり、生きることに慣れてしまった結果です。

もし、JAL123便に乗っていたら!

8月12日は、JAL123便をメタファーに自分と家族のことを考えてください。

ほとんどの人にとってJAL123便はメタファーです。
飛行機事故ではありません。
たくさんのJAL123便が私たちの周りを飛び回っています。

そして、残された余命を意識してやりたいこととその優先順位を決めるのです。
Happy Ending カードがお手伝いします