マズローによると、有意義な人生の定義はただひとつ、「本質的に欠乏しているものがあり、それを求めて努力すること」とあります。この命題を是とするならば、 自分の人生に欠乏しているコトを認識しているか否かが有意義な人生のターニングポイントになる思いませんか?
*マズローの定義は欲求の充足(点)ではなく充足に向けての進行形(線)としての経験を指している
欠乏と欲求
欲求とは欠乏を感じてその欠乏を充足したいという気持ちです。
人間の三大欲求は、睡眠欲、食欲、性欲といわれますが、 マズローからすれば、それは第一段階の生理的欲求にすぎません。犬や猫でも三大欲求はあるでしょう。人間が犬猫と違うのは、一つの欠乏を充足するとより高次の欠乏を感じるという点にあります。
人間は次々と自ら欠乏を創りだしていく特異な生きものなのです。マズローはそれらの欠乏をおおくくりにして、欲求5段階説そして6段階説(+自己超越欲求)を唱えましたが、彼の言う本質的な欠乏とはより高次の欲求を求めることを指しています。
基準値
人間はものごとを認知する際に、何か他のものと比較して初めてそれが自分の生存にとって有利なものあるのか、危険なものであるのかを認識してきました。無意識が経験的に様々な基準値を積み上げてパターン認識を行うのです。
体重計に乗ってみて、表示される60kgという数字だけを見ても、何の認識もありません。先月が61kgであったことを覚えていてそれと比較すれば、一ヶ月で1kg体重が減ったことがわかり、目標体重を58kgに設定しているのであれば、あと2kg減量することが必要であるとして、現在の体重計が指し示す60kgの意味を認識することができるのです。この場合、目標値の58kgと先月の61kgが現在の60kgを認知する際の基準値となります。
目標とする基準値に近づいていれば、満足するでしょうし、より体重が増えて基準値から遠ざかっていることがわかれば不満を抱くでしょう。このケースの体重60kgが欠乏であり、欲求はそれを58kgにすることなのです。
このように人間はあらゆるものを認知する際に、無意識に様々な基準値を引き出して現時点に認知したものと比較することによって認識を行っています。欠乏を感じるのは基準値があるからです。基準値は人によって異なり、同じ人であっても環境によってその基準値は変化します。
基準値が低く設定されていると、より高次の欠乏は感じにくくなります。犬猫はクルマを運転したいとか、絵を描きたいという欲求は持ちません。それは、犬猫はクルマを持っていなくても、絵を描くことができなくても欠乏があるとは感じないからです。彼等は欠乏を感じないのでそれで充足することができます。欠乏の基準値が低い犬猫を羨ましいと思うでしょうか?
幸か不幸か?私たちは人間として生まれてしまいました。
アラジンの魔法のランプ
衣食住、ビジネス、異性、趣味嗜好様々な分野において欠乏があるかもしれませんが、それを統合して最も大きな人生というフレームにおいて、何が欠乏しているかを考えたことがあるでしょうか?
これが今回のテーマです。
そこで、あなたの人生に欠乏しているコトをチェックしてみましょう。
ここにアラジンの魔法のランプがあります。
あなたが魔法のランプを擦っていると、大魔神が現れました。
大魔神があなたにこのように言います
🔸 あなたの人生に足りないことは何でしょう?
足りない(欠乏)ものがあれば何でもかなえて差し上げましょう。
🔹 ただし、お金は手段なので対象外です。
🔹 そしてそれは10回だけです。
🔹 私はここに5分間しかいることができませんから、早く言ってください
何でも実現することができるのです。
流れ星を見るように時間はありません
あなたは10回何を望むでしょうか?
まさか、うまいラーメンを食べたいとは言わないでしょう。
今、5分間で魔法のランプにしてもらいたいことを10個上げてみてください
いかがでしょうか?
5分以内に本当に自分の人生に欠乏しているコトを10個上げることができたでしょうか?
それとも、あなたは「魔法のランプの前でしどろもどろ」ですか?
人生の物語への関心の欠乏と時間の欠乏
もし、あなたが魔法のランプの前でしどろもどろになってしまったとしたら……
欠乏していたことが二つあったことでしょう。
🎯 第一に欠乏していたのは、あなた自身と家族の人生の物語に対する関心です。
好むと好まざるとにかかわらず人生は物語です
・あなたの物語の主人公は誰が演じていますか?
・あなたの物語のどのような役者が出演していますか?家族は?友人は?取引先は?
・あなたの物語の作者と演出者は誰ですか?
アイデンティティを意識する人であれば、全て自分であると答えるでしょう。
それにもかかわらず、魔法のランプの前でしどろもどろになってしまったのはどういうことでしょう?
一度きりのかけがえのない自分と家族の人生の物語に関心が薄かったのでしょうか?
🎯 第二に欠乏しているのは、時間が欠乏していることへの認識です。
物語にはかならずエンディングがあり、しかも、そのエンディングがいつやってくるかがわからないにも関わらず、時間があると思っていると、オチのあるエピソードを演じる前に死んでしまいます。
時間はいつも欠乏していませんか?
知らないものは欲しがれない
既知の欠乏は、認識に必要な基準点を主に経験から無意識が蓄積しているので、その基準点からパターン認識することが容易ですが、未経験であることについては比較する基準点がないために欠乏を認識することができません。
賢明な人でも知らないものを欲しがることはできません。将来に発生する欠乏と欲求の問題点は、気づいた時には手遅れであるということです。未経験の欠乏に間に合わせるためには、自分の経験だけでなく、他人あるいは先人の経験から学んで自分の基準点に加えておく必要があります。
人生を振り返ったときに、なんと言いたいか、それで全てが決まる
キング夫人(ビリー・ジーン・キング)の言葉だそうです。
Q1.自分と家族の人生の物語への関心が欠乏していたと思いますか?
Q2.自分の人生の時間の欠乏に関心が欠乏していたと思いますか?
Q3.自分が気づいていないにもかかわらず、将来欠乏に気づくコトがあると思いますか?
Q4.人生を振り返ったときに、何と言うつもりであるか決めていますか?
Q5.今、アラジンの魔法のランプに頼むコトをバケットリスト(死ぬまでにやり残すと後悔するコトのリスト)にまとめてみたいですか?
以上の問いに一部でも、そうかもしれないと思ったはこのワークショップについて見てみてください。あなたの人生に欠乏していることをバケットリストにまとめることができます。
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